【コラム】「引用に現れる知性」2021年09月07日 7回

「引用」という行為にはその人に知性が現れる。

この世には様々な文章が存在するが、自分の語らんとする事をこれほどまでに上手く述べた一文や読者を納得させたり惹きつけたりする言葉を括弧で括って自分の文章中に組み込む「引用」という行為は非常によく行われる。いや、寧ろしないほうが珍しいと言っても過言ではないだろう。

この行為は論文でも使われる行為であり、たくさん「引用された」人は優秀な学者として認められる。それほど、「引用」という行為は意味のあることである。だが、裏を返せば「引用」を有効活用しない場合は文章価値を大きく下げる事になりかねない。

自分では最適だと思った「引用」でも、読者からしたら、筆者の主張と関連性がなかったり、逆に「引用」がメインになってしまっているように思うことも大いにあり得る。

特に有名な言葉やエピソードなら、なおさら筆者の技量が試される。

いけしゃあしゃあと述べている私が行う引用もまだまだ稚拙であるから、更に書を読み学識を深める必要があろう。

巨人の肩を借りるのではなく、自在に乗りこなして新たな世界を創作することが「引用」のされるべき使い方であろう。

ニュートンもきっと自分の言葉が引用され、それを越える発見を期待していることだろう。

良い一日を。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。