【コラム】「知らないの持つ力」2021年09月29日 29回

「知らない」のもつ力は大きい。

卓球について詳しくない私が卓球の試合を生で初めて見て思ったことがある。それは、その試合が、自分が勝手に抱いているイメージより低いか高いかだけで全て片付けられてしまうということ。特に、自分が強い興味を示さないものに関しては顕著にあらわれる。

自分の中にあった卓球のイメージを一言で言うと、オリンピック選手。ピンポン球が高速で行き交いするあの激しいラリーの様子が卓球のイメージとして脳にこびりついていた。でもよく考えると、そこに出ているのはプロ中のプロで、そのような試合を日常で見ることができる機会は滅多にないはずだ。なのに、初めて生で見る試合(もちろんプロではない方達の)を見るときは、心のどこかで期待してしまう。素早い攻防が繰り広げられ、自分が応援しているチーム(選手)が勝つんだと。

結果、試合は負けに終わった。でも、別に悔しいとか、惜しいとかは思わず、「あ、負けたんだ」で終わった。自分が非常に冷酷な奴に思えたが、それ以外に残るものはあまりなかった。きっと、自分が卓球に詳しかったら、「あそこのプレーが惜しかったな!あとちょっとだったのに。でもよく頑張った!」とか言っているかもしれないが、その時の私は何も知らない。答えは2択。勝ったか、負けたか。デジタルのように冷たい人かもしれないが、自分の知らない分野について語る方が難しい。

そう思うと、選手は本当に大変だ。会場には、その競技や特性を「知る人」もいれば「知らない人」も来る。「知る人」はさまざまな面から多角的に見てくれるが、知らない人は2択。そうなると、より多くの人に感動と喜びを与えるには、圧倒的な勝利、イメージや想定を超えるプレーをする必要がありそうだ。もちろん、スポーツは伸び伸びとやるのが最善だと思うが、自分が選手なら、来た人にガッカリして帰られると残念に思う。

シビアな世界だなと思うが、「知らない」はスポーツ界外でも、多くのところでその力を見せている。勉強や職務など、あらゆることにはそれを「知る人」と「知らない人」がいる。「知らない人」の中には、それについて詳しく知らないのに、自分のイメージや価値観で文句を言う人もいるかもしれない。

だが、恐れてはならないと思う。その道を拓くのは、今までその道を地道に歩んだ人であり、周りの「知る人」は必ず見ているから。

主役はいつも「知る人」だ。「知る人」が「知らない人」に合わせるのでなく、「知らない人」が「知る人」になるらなきゃな。

無知な私も、回を重ねるうちに卓球の細かい面白さに気づくかもしれない。

良い一日を。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。