【コラム】「怖がりすぎ?警戒しすぎ?」2021年10月03日 33回

映画の見過ぎで、非日常的なことを警戒したり、それを想像することがある。例えば、今乗っている電車にガスが充満して乗客が全員死ぬとか。目の前の人間が急にカバンからナイフを取り出して斬りかかってくるとか、隣に座っている人が薬物中毒だとか。映画の中であれば、あってもおかしくないシーンだろう。でも、日常では、そうそう起こることではない。(起こらないとは言っていない)僕だって隣に座っている人に殺人者扱いされたくないし、警戒されたくもない。だから、そういう想像はしない方がいいのかなとか思ってしまう。何にも警戒せずぼーっとしてれば良いの?でもそれって広く見れば「平和ボケ」って言うんじゃないの。戦争がいつ起こるか分からないように、日常生活だって表面上不変なものに見えても、自分が見えぬところ胎動し続けているんだ。じゃあ、やっぱり警戒すべきなの。⋯⋯難しい問題である。

多分だけど、決めつけないことが大事なんじゃないかな。さっき言った例で言うと、急にナイフで斬りかかってくることだけを想定していたら、ガスの充満に気づかないかもしれない。何かを決めつけて、それのことばかり考えていれば、ちょっと角度を変えただけで想定が崩壊してしまう。

だったら、全ての場合を想定すればいいじゃないかって?それもひとつの方法ではあるが、僕にはできない。そもそもケースが多すぎる。世の中は変化し続けているって言ったけど、変化し続けるもののパターンを全通り出すだなんてほぼ不可能じゃないか。

もう打つ手無し!と投げ出したくなるが、まだ諦めないでみよう。呆れられる論理かもしれないが聞いてほしい。僕が探している答えはもう出ているのかもしれなくて、それは、「流動するという事実」の認識だ。世の中、僕らの生活に同じなど存在せず、常に変わり続けているとことを把握するだけで十分だということだ。何を今さら当たり前のことを、と思うかもしれないが、そこが大事なのだ。──当たり前の再認識だ。僕たちはよく、今日と同じ日が明日も来るだろうと思いがちだが、それは誤りじゃないか?全く同じ日が来るのであれば、それは私たちの生きる意味、世界が動く意味を殺す。違うから、生きているんだ。違うから、動くんだ。

その認識があれば、もう怖いものなどない。

良い一日を。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。