【コラム】「川と池」2021年12月06日 44回

◆SNSや様々なメディアプラットフォームを覗いてみると、場所ごとの色や風通しが全く違うことに一驚する。よく、人は皆違う意見を持っているからそれぞれの意見を尊重すべきだという、ある種の綺麗事とも言える誡めを受ける。だが、もし本当に一つの場所に色んな意見を持っている人がいるなら、尊重し合うとまではいかなくとも、特定の人が集中的に責められたり、傷つくことはそうそう無いと思う。イメージで言うと、意見をぶつける相手が分散しているような具合だ。でも実際そんなことはなく、特定の人が責められて傷つくことが多々ある。確かに人々が持つ考えは各々異なるもしれないが、似たような意見をもった人は当然生まれてくるだろう。そのとき、同じような意見をもった人たちがお互いに集まり合っている場所に全く違う意見をもった人が入り込んだらどうなるだろうか。それは自然の摂理と言ってもいいかもしれないが、排除されてしまう。それがSNSやメディアプラットフォームによって集まる人が全く違うことで発生する問題点だ。

◆同じトピックに対するコメントでも、あるニュースメディアサイトと、あるSNSプラットフォームでは意見の偏りが正反対になったりする。私自身もまったく同じトピックに対するコメントをメディアサイトごとに比較する機会は多くなかったので、改めてその光景を目の当たりにすると、その歴然とした差に目を見開いてしまう。でも、もし自分が片方しか見ていなかったらと思うと、自分の意見がはっきりしていたら俯瞰して見ることができるが、考えが揺れていたりそもそも考えていなかった人が見たら簡単に流れに呑み込まれてしまうと思う。そういう意味でいえば、その流れを左右する要は第三者にあるのかなと思う。情報という世界の川は決まった方向に流れなければいけないものではない。むしろ、あらゆる方向からぶつかり合って、逆流させたり、新たな道を切り拓いても良いだろう。一人の異なる意見が簡単に流れに飲み込まれるような川があっては危険だろう。

◆とはいえ、見方を変えれば自分の趣味嗜好が合う人と同じ場で過ごしたいと思うのも人間心理の一つだ。一対一のコミュニティを超越して膨大な人数が集まる場で話し合うようになった今、求められるのは氾濫しきった川とクローズドな池なのかもしれない。

◾️中と外。それを作るのが大事かもね。

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Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。