【コラム】「タバコと温もりと」2021年12月09日 47回

◆ 煙草は好きじゃないが、ラフな温もりは好きという話。昭和30年代のポスターに書かれていたコピーに「おくりものにたばこ」というものがあった。今はもう少ない煙草屋の看板にも書かれていたりした言葉だ。この時代に見ると、「ん?」と怪訝な面持ちになってしまうのは分かる。昨今は主流煙や副流煙に含まれる身体への有害物質への危機感が世界中で高まり、とにかく禁煙を推し進めているように、非喫煙者の煙草に対する神経の尖らせ方はとても鋭利になっている。私も煙草に対しては百害あって一利なしだと思っているような人間だが、先述したコピーには惹かれるものがあった。それは、温もりだ。この字面だけではポスターの良さを十分に感じることは難しいので、機会があればぜひ見ていただきたい。で、どこに温もりがあるのかというと、分断の無さにあるんじゃないかと思っている。なんというか、本当に当たり前に煙草を贈り物として受け渡ししている描写が自然感を醸し出していて、そこに「蘞み」がないんだ。煙草というものを忘れて、人間というものから滲み出る「ありのままの人間らしさ」が伝わるのだ。どこにそんなものがあるんだ、という方もいるだろうが、私見として書いているのでご容赦いただきたい。でも、ここで読むのを中断してしまえば今日言いたいことと相反してしまうので、余裕があれば最後までお付き合いください。

◆科学や情報技術が発展するにつれて、やはり貧しさが増してしまうものがある。ご察しの通り、心である。真実を一つに確定しようとする(自己の正義を貫いて相手を蹴落とすような意味)ことが、発想の自由を狭めたり、瞬時に同時多数の人々といつでも繋がれるようになったSNSが、人々に負の連鎖を与えたりすることがある。そういったものは、徐々に人々の間に分断を生み、人間というものをどんどん冷酷にしているような気がするのだ。でも、紹介しきれないほどの科学・情報技術は良い面もたくさんある。だから、ものは使い用だというのも事実。そういう時にこそ必要なのが温もりであり、人間らしさなんじゃないかと思う。もしSNSを下げ合うものではなく、上げ合うものとして使えばどうだろう。きっともう上着なんて着なくていいぐらい温かい場所になる。で、上げ合うってどういうことかというと、肯定し合ったり相手を認めたりすることだと思う。冒頭の話に戻るけど、世の中にはいくら煙草が有害だと思っても吸う人は吸うし、そもそもタバコというものはただの植物で、それ自体を否定しないで、存在を認めてあげるというものが分断を小さくする鍵だろう。ここで重要となるのは不干渉になってはいけないということ。私は「多様性」という言葉がそんなに好きじゃない。だって、多様性を理由に関わるのをやめてしまった人が増えたから。関わらないでほしいと思うこともあるけど、やっぱりそこには温もりってやつが無いのかなと思う。

認め合おう、上げ合おう、温め合おう。

■ダバコだってただの植物さ。吸い始めたのも、それが有害って見つけたのも人間だ。余談だけど、温もりは大事、でも煙草の先は温もりじゃなくて、熱過ぎる。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。