【コラム】「経験という教科書」2021年12月12日 50回

◆愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。なるほど、では今日から過去の経験を捨てて、歴史書を読み込んで、問題が起きた時はそのデータを参照して的確な答えを出して問題を解決しよう。とは中々いかない。というよりかは、それに意味は無いと思う。だって、それならAIとやらに任せてしまえば済む話では無いだろうか。人間がそれをやったら人間の強みが無くなってしまうということだ。つまり、宝の持ち腐れだ。私たちに求められるのは膨大な情報を記憶して算出するのではなく、その「仕組み」を考えることだろう。ロボットの動ける枠は人間が造ったものであるから、人間はその枠と同等以上の枠を持っていなきゃ辻褄が合わない。(その枠が成長したと考えることも可能ではあるが。)シンギュラリティがああだこうだ言われてるが、正直それは起きないと小欄は思っている。だから、私たちは機械の枠より外で働くべきだ。ちなみに、これからの情報技術の発展におけるポイントは機械と人間の枠のバランスあるいは、人間の枠外の(人間を含まない範囲での)活用にあると思っている。

◆話を戻すと、私たちはただ単に歴史を学んで、それを基に判断してはいけないということだ。ここで、肝になるのが──経験だと思う。先述の言葉に矛盾しているわけではない。先述の言葉の意味は(個人的な解釈として)愚者は経験というものから全てを学ぼうとするから、見える世界が限られていて、賢者は歴史という良質な下拵えを準備した上で経験というスパイスを加え最適な判断を下せるということだと思う。つまり、賢者は歴史と自身の経験の融合によりAIには弾き出せない未知数を明らかにするのだ。さらに、「歴史は繰り返される」というが、全く同じことが起きることはない。多かれ少なかれ違いは存在し、毎回私たちが直面しているのは出会ったことのない問いだ。類題であったとしても、歴史は数学ではない。一対一の記憶では太刀打ちできないのだ。だから、私たちは記憶という思考停止状態から考えるという人間の特権を発動する。そして、解法を編み出して困難を乗り越える。その時の解法は歴史には載っていない。あなたの経験という教科書に載っているのだ。

■賢者は歴史と経験に学ぶ。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。