【コラム】「綺麗事と言って逃げていた」2021年12月14日 52回

◆友人が『老人と海』に対する感想を書いており、ありがたいことにそれを見せてくれた。本書はアーネスト・ヘミングウェイの代表作であり、漁師のサンチャゴ老人が84日間続く不漁に悩ませられながらも、大きい獲物を捕まえようと海に出た早朝に巨大なカジキと遭遇し、葛藤する様子を描いたものである。読んだことのある人でも、読んだことがない人でもあらすじを聞くだけで、「なるほど、諦めずに戦い続けた男の話なんだな」というのは伝わると思う。もちろん、実際はさらに奥が深く、ヘミングウェイによって描かれた風景が非常に鮮明に物語を浮き彫るのでご一読いただきい作品だ。

◆だが、その友人は感想の前半ではそういった綺麗事じみたメッセージに距離感を抱いているということが書かれていた。なんだかすごくゾクッとした。名作と呼ばれる本に対して多くの人は肯定的な感想を述べたり、学んだことをまとめたり、自分の独自の考察を伝えたりする。 そんな中、「そんな綺麗事に共感できない」と述べているのがかなり新鮮で、ある意味では小説が作り上げた、現実離れしたフィクションが自分自身と重なり合わず、もどかしさを感じていたのではないかと思った。そして、途中でその本を読むをやめてしまったという。

◆後日、心を落ち着かせてもう一度本を開いてみたそうだ。そして、一歩下がった状態で読んでみると、あることに気づいたそうだ──「逃げていた」ということに。その一文をご紹介する。「『世の中、綺麗事ばかり』と、綺麗事を言って逃げてきたのは自分だった。」この言葉は僕を含め、たくさんの人の心に突き刺さるものではないだろうか。大勢の人が「その不漁の中で獲物をとりに海に出て巨大なカジキに出会い奮闘した」というのは綺麗事に過ぎず、実際そんなことはない、といったとしても、老人が海に出たという(物語上の)事実は変わらないし、たとえそれがフィクションであれども、84日失敗してもその次には何か可能性があるはずだ。私たちはその可能性があるとかないとかの前に84日という足に繋がれた錘に行動を制限され、次の漁にすら行かなくなる。そんな中漁に出た老人は大勢の反対を押し切って自分を貫いたのであり、「次はない」と言って逃げていたのは我々であったという事実にハッとさせられた。

◆「綺麗事」という言葉は挑戦を壊す言葉なのかもしれない。その言葉に逃げず、戦い続けた者だけが「例外」になれるのだろう。

■海に出よう、逆境は乗り越えた時にあなたの追い風になる。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。