【コラム】「人生というゲーム」2021年12月18日 56回

◆よく人生をゲームで例えたりする。「いや、人生はゲームじゃない。だってリセットボタンがないから。」という人もいるかもしれないが、じゃあリセットボタンのないゲームとでも言おうか。むしろその方がしっくりくる。たまに、死んだらどうなるんだろうと考えたりするが、誰しも一度くらいはそれを想像したことがあると思う。死んだ後を考えるとなんだかとても悲しくなる。自分というゲームが終了したのか、と。僕の場合は真っ暗な宇宙で彷徨い続けるイメージがある。いかにもゲームオーバー的なイメージだ。ゲームオーバーというと聞こえが悪いかもしれないが、ゲームが終了、言い方を変えれば、クリアしたとも言えるのかな。

◆どれだけゲームが好きな人、得意な人でもずっと続けることはできない。お腹は空くし、トイレには行きたくなるし、眠くもなるし、何より体が疲れてしまう。でも人生をゲームに例えてしまえばどうだろう。僕たちは一瞬たりともゲームを休まず続けている。セーブボタンを押して中断なんてできない。セーブボタンもリセットボタンもないゲームをやり続けている、そして今の自分を築きあげている。それって本当に奇跡だと思うし、偉大なことだと思う。もしかしたら、今の自分が惨めで辛い人や、まだまだ満足していない人もいるかもしれいない。確かにリセットボタンもないし、岐路のチェックポイントに戻ったりもできない。通常のゲームなら行き止まりになったり、画面やデザインに制約を受けて、なかなか前に進めないところかもしれない。だけど幸い僕たちがやっている人生というゲームは自分でいくらでも道を切り拓けるし、デザインを変えられるし、画面なんかない。いくらでも形を変えることができる。本当に自由だ。あるのは人間たちが作った社会のルールのみだ。いくらにでも、どうにでもなれるサバイバーなのだ。

◆さらに言えばゴールすらない。だから僕たちは人生の目標という名のゴールを決める。そしてそれを達成しようと全力で頑張る。その目標が達成しようとしなかろうと、本当に頑張って満足してゲームを終える時が来たらきっと後悔はしない。ゲーム終了画面で彷徨い続けるときに優雅な気持ちで、今まで頑張った分休むことができるし、もしかしたら新たなゲームが始まったりするのかもしれない。人生は最高のゲームだ。落ち込んでいたり、嘆いている暇はない。やりたいことを目一杯やるしかない、ゲームが終わった後にいい気分で休めますように。

■ゲームは今もなお続行中です。

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Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。