【コラム】「手間とアナログ」2021年12月20日 58回

◆僕のポケットにはいつでもメモを取れるようにHBの鉛筆と緑色の測量野帳が入っている。今日、思いついたことを書こうとしてペンと帳を取り出したとき、あら、芯が折れてしまっていました。角度を調節すれば書けるかなと思い、試行錯誤するもののやはり書けない。どうしようもないなぁと思い、しばらく鉛筆を眺めていたら、そもそもこの芯を覆う木がなければいいじゃないか!という変なことを考えてしまった。たまに、鉛筆の芯を綺麗に抜いたりする人を見かけたりする。いや、確かに凄いが何にも使えないよなぁって思う。なのに、今日は芯だけになればいいのにとか思っており、人間は相変わらず矛盾が好きだなぁと感じてしまう。

◆もちろん、鉛筆が芯の外側を木でカバーされているのは、太くすることで書きやすくしたり、折れないようにするためであるのは自明である。でも、よく考えてみれば、鉛筆職人が(機械かもしれないが)届けたいのは鉛筆の芯だし、利用者が求めているのも鉛筆の芯だ。その証拠に私たちは必ず、鉛筆を削って木のカバーから芯を出す。両方の需給がマッチするのは鉛筆の芯なのに、その芯には必ず木で包むというオプションがつく。なぜつくかは先述のとおりだが、そこにはちょっと面白いことがある。それは、手間と手間によって伝えているということだ。ここでは分かりやすくするために一の手間、二の手間と呼ぶことにする。

◆一の手間とは、鉛筆職人が芯を木で包み込むことだ。それが、巡り巡ってあなたの手元に届いた。さぁ、あなたはどうする。うむ、鉛筆を削り出すだろう。この削る行為が二の手間だ。伝えたいものはもちろん「鉛筆の芯」。でも、鉛筆の芯はデリケートだから、前後に手間を設けることで伝達及び利用を可能にする。 なんとなくだけど、それがアナログがもつ特徴の一つなのかもしれない。たくさんの人が今は文字をデジタルに刻み込むようになったのは、手間が少ないからだし、電子マネーを使うようになったのもキャッシュに手間がかかると感じたからだろう。デジタルは手間を嫌い、アナログは手間を好む。その手間と本来の目的に切れ目がなく、連続的に繋がっている。そういうところなんだろうなぁ。

■シャーペンでも同じことが言える。あれはれっきとしたアナログだと個人的には思っている。確かにノックをするという部分に関してはデジタルが入ってしまうかなぁという気もするが、手間という観点で見れば、芯はパックに詰められていて、それを取り出して本体に入れる。もはや自分で手間を開けて次の手間に入れているとも言える。いやぁ、参りました。文房具様様です。

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Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。