【コラム】「諦めるは生き残るための一つの選択肢」2021年12月21日 59回

◆生活をする上で、「どこでやめるか」はとても重要だと思っている。つまり適切な取捨選択が必要だということだ。鬼ごっこをしていて、自分が鬼だった時に捕まえようとする相手を決めて一目散に突っ走るがどうも距離が縮まらない場合、多くの人はきっとターゲットを変えると思う。なぜなら、これ以上続けても捕まえられる可能性は高くないし、仮に捕まえられたとしても体力や時間のコストに対するリターンが少ないから。投資でいうところの損切りみたいなイメージだ。だから手を引くタイミングは自分の失うものをできるだけ最小に抑える上で大事なものになってくる。

◆「諦めたほうがいい」と主張したいわけではないが、世の中はあまりにも「諦めずに続けること」を正当化しすぎているのかなという気もする。有名なところで言えば、『スラムダンク』に登場する安西先生が言った「諦めたらそこで試合終了ですよ。」である。スポーツの試合においては諦めなければ戦況が一転したり、勝利がより近いものになったりするのかもしれないが、だからと言ってそれが百パーセント日常に生きるかと言われれば意外とそうでもなかったりもする。バスケットボールの試合であれば、ボールをゴールに入れるという正解を繰り返した数で勝敗が決まるが、私たちが生活したり何かをやろうとする時にはそもそも正解を見つけることが難しかったりする。つまり、最終的に成し遂げたいことまでの道の進み方ではなく、その道自体がわからないという状態だ。そういうときに私たちはなんとかして正しいルートを知ろうとするが、どうしてもわからなかった場合、手探りで進んでみるというのも一つの手と言えるだろう。誰に聞いても分からないなら自分で確かめようというマインドは現代において必要とされる姿勢とも言える。そして、その道を手探りで進んだとする。もちろん、そうすぐに目的地に近づいているかどうかは分からない。しばらく歩いてみて、もしその道があっていればそのまま進めば無事辿り着けるが、もし間違っていたら早めに引き返して別ルートを検討するのが堅実だろう。

◆だが、どこで引き返すか。人間はよく勿体無いという感情が裏目に出てしまうことがある。本来、勿体無いという感情は清いものであるが、それがさっきの道の話で例えたときに今まで自分が歩いた道が勿体無いと思ってしまったらどうだろう。もう引き返すことはできなくなってしまう。「せっかく」という言葉に囚われてしまい、引き返すことを惜しんでしまう。それこそ勿体無い。これからは、自分が歩んだ道を進み続けるのではなく、自分の歩んだ道から学んだことを活かせるようになりたい。そのほうが、その道は「もったいなく」使える。

■その道中が心躍るものだ。

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Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。