【コラム】「完璧主義という住人」2021年12月25日 63回

◆完璧主義っていう言葉があって、これは多くの人の心に潜在的にある欲望だと思っている。結構共感される事例として、ノートの話がある。大学ノートでも手帳でも何でもいいんだけど、何か新しいものに手をつけた時は割と綺麗に扱おうとして背筋を伸ばし、習字のお手本にあるような姿勢で書いたりするんだけど、日が経つにつれてその背中は猫に近づき、ノートは荒らぶった文字の海になっている。まぁよくあることだ。最初は完璧になろうとして頑張ってみるんだけど、少ししたら続けるのが辛くなって「あぁもうやーめた」なんて言ってノートをぱたんと閉じて、棚の隅にスッと何事もなかったかのように隠蔽するものだ。そして今回もダメだった、と自分の抱いてた「完璧なわたし」の理想像と現実との落差にがっかりしてしまう。

◆みんな心のどこかに完璧主義が住んでいるんだけど、それを排除する必要はないにせよ、少し寛容になることが大事だ。あらかじめ、期待しすぎないことやハードルを上げないことがポイント。ハードルを上げすぎると、それを越えることに精一杯になっちゃって、本来できたはずの自分にしかできない表現が消えてしまったりする。自分のオリジナリティーを発揮するにはある程度の余白が必要だ。しかもその余白は試験のような型としての余白ではなく、手でなんとなく半分に破いた紙のような余白の方が発想が元気に飛び交う。アイディアや個性っていうのは檻や枠を嫌う。反対に草原や青空は大好物だ。だから、あまり必死に追いかけちゃいけない。完璧を求めすぎるがあまりに、息を止めてしまったら苦しくなる。完璧っていうのは水の中みたいなもんで、やっぱり息継ぎが必要だし、水の中も綺麗で気持ちいいかもしれないけど、地上の安心感は格別だ。胸一杯呼吸をできる幸せがある。

◆そしてずっと悩んでも解決しない問題からは一旦離れてみるのも良いかもしれない。自分が逃げたのではなく、問題を自由にしてあげるのだ。思いがけない発想や解決策をシャワー中や散歩中に閃いたことがあるという人もいるのではないだろうか。正解は必ずしも机と睨み合って出るものとは限らない。一旦机から離れる、さらにはその悩み自体を一回捨ててみる。気になって気になってしょうがない人もいるかもしれないが、それは完璧主義による反応だ。ゆっくりと息を吸って「これで良いんだ」と言ってみよう。自分を許して、問題を自然に逃してあげる。そうすると不思議なことに、思いもよらない場所でばったり解決された状態で再会するものだ。

■脱・完璧。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。