【コラム】「一年のパノラマ」2021年12月27日 65回

◆いろんなところで「今年〜して良かったものベスト〇〇」という題字を目にするようになり、今年が終わるんだということをようやく実感し始めた。長いようで短い、短いようで長いという言葉は雰囲気は良いけど、よく考えてみれば意味不明なのであまり使わないようにしてるが、そういう錯覚もあったという意味を込めての今年と言えるのならば使おうか。今年が特別変わっていたという印象は特になくて、結局時代は常に混沌の中にあるんだから、一部だけ切り取って天地がひっくり返ったかのように大騒ぎするのはおかしいものだ。今年が特別な一年だったというなら、ぼくにとっては毎年が特別だ。

◆年の終盤にさしかかったときに今年一年を振り返り、思いを巡らせると、あれだけたくさんのことがあったはずなのに、記憶として残っているものは意外と少なかったりする。光陰矢の如し、時が早すぎて状況を捉えきれなかったのか、あるいは忘却した分だけ、記憶が存在しない部分はブランクとして一年からカットされるから時が早いと感じるのか。やっぱりそこにも錯覚というか、ねじれが存在しているのがよくわかる。歳を重ねるほど、時の流れが早く感じるというのは、やっぱり忘却の割合が大きくなってくるというのもあるのかもしれない。小さい頃は膨大のように感じられていた時間が、歳をとると刹那に感じるのはしみじみとしたものがある。きっと、人間の寿命がどれだけ伸びても、肌身で体感できる時間の増加は微々たるものなのだろう。

◆片手で数えれば今年が終わる。良かったこと、改善すべきところを具体的に挙げたものが人々は好きなようだ。それはそれでいいが、ぜひ一度広い目で空高くから抽象的に今年を捉えてみてほしい。一年というものを部分的に切り取ってつなぎ合わせて想像上に今年の思い出ムービーを頭に保存して残りをゴミ箱に捨てるのではなく、解像度が低くなっても多少容量が増えても一度今年というパノラマを頭に残してほしい。それが難しいという人は脳以外の外部メモリに書き出してみてほしい。図でも言葉でもいい、重要なのは一年を体系的に捉えることだ。そうすれば徐々に輪郭が浮かび上がってきて本当の姿が見えてくる。あっという間でもない、何かが特別に一年を変動させたわけでもない、本当の一年がそこにはある。時を超越した視点をもつことは、ぼくらを何かの縛りから解放し、新たな見地を授けるのだ。

■一年は美しかった。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。