【コラム】「自由が欲しいという望みは危険なのか」2021年12月28日 66回

◆忙しない日々を過ごしていると、休みや自由が欲しくなる。サザエさん症候群という言葉の存在が世の中のそういう雰囲気を象徴しているように思える。いっそのこと一週間ぐらいまとめて何もしなくていい自由時間が欲しいと思うこともたまにある。けれども、実際そうなったとしても想像と同じ結果になるとは限らない。よく、休みがあれば〇〇したい、△△したい、なんていう幸せな想像をする。いつも、たくさんのタスクに追われているぼくらにとっては休みの想像が楽しくて楽しくてしょうがない。でも、いざ休みが来た時に期待通りあるいはそれ以上の満足感を得られたという人はそんなに多くない。なぜだろう、せっかく休みを手に入れたとしてもぼくらはなぜか怠惰に過ごしてしまいがちだ。人は自由時間が7時間を超えると幸福度が低下するという研究もある。

◆「大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。 日曜日ばかりの人生もそれと同じだ。」ジョン・パウルの言葉だ。結局、自分の大好きなことばかりを集めてもそれは本質を見失ってしまう。苦手なものがあるから、好きなものの存在が際立つ、そういうことなんだろうというのは最初からなんとなくわかっていた。忙しい毎日から見た休みが輝いてただけであって、常に休みだったら目が慣れてしまう。そうなってしまえば、望みが消え、生きがいが薄れてしまう。しかしそれでもぼくは願う、長い休みが欲しい。もっと言えば、願うけど、手に入るようにはならないでほしい。長い休みが手に入るというのは、やるべきことが無くなるということだ。確かにその間に自分の「好きな」やるべきことをやりたい人もいるんだろうけど、長い休みの間の「好きなこと」はそれは本業になっているようなものだ。どんなに好きでも、それが作業的、義務的になれば誰だって嫌になるものだ。一番好きなことが輝くのは「いいところでやめざるを得ない」状況なのかもしれない。自分の大好きなドラマもあの絶妙な終わり方が来週の自分の頑張る意味になる。あれが、毎日朝から晩まで見てください!となると話が変わってくるのも納得だ。

◆だからぼくは「ちょっと」を楽しむことを心がけている。「いっぱい」じゃない、「ちょっと」だ。よく、食べる時は腹八分目までにしなさいと言うものだ。同じことだ。貧乏くさい、と思う人もいるかもしれないが、もし大富豪になった後でも行きつく境地は同じだ。全てにおいて貪欲になる必要はない。自分が本気で手に入れたいものは精一杯身を焦がしてもいいと思う。それ以外の部分は一歩引いて眺める。足るを知る。人間の苦手とすることだ。

■食べすぎると動きづらいから、ほどほどにしたいものだ。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。