【コラム】「お正月の空気が好き」2021年12月31日 69回

◆お正月の空気が好きだ。年越しそば、初日の出、初詣、年賀状などたくさんの細かいイベントが楽しいから正月が好きというわけではなく、単純にあの時期の街、広く言えば国全体が包まれる空気感に惹かれる。日本はわりとみんなが一斉に休みになることがない(休日でも仕事に出るという人がいる)のだが、年末年始は多くの人がお休みモードに突入する。もちろん働いたり学校に出向かなければならない人もいるとは思うが。(お疲れさまです)何より大きなお店すらも閉まるっていうのが、その雰囲気をより一層引き立てる。昼にその店の前を通っても店内が真っ暗なのを見ると、まるで人間がいなくなってしまったかのような閑散としたある意味の嫌じゃない寂しさがある。

◆その風景がお正月という空気感の主成分なんだと思う。気のせいか、この年の変わる瞬間の空気はとても奇麗に見える。気持ちとしても新年は清々しいものだから、というものがあると思うが、行事が生み出す独特な空気はその実質的な意味をもたないところにふわりと広がるものなんだろうなと静かな街に思いをはせる。お正月が好き=お餅やテレビの特番、初売りが好きという具体的な直結した対応関係にあるのではないことを伝えたい。お正月が好きか?という問いに対してYesかNoで答えるときに、自分たちが想像する相手側の理由は極めて単純な具体的なものであるように思いがちなのだが、実際は言葉で説明できないような「特別な何か」に引き寄せられるものがあるというのがその選択の要因であったりする。それを見落としてはいけないと思っていて、極論「お正月は必要か?」という話になったときに具体論で話して、多数決で要らないという結果になってしまってはどうしても不都合な点が生じてしまうと思う。抽象論は相手に伝えるのがとても難しいのでそもそも議論として成立しづらいというのも想定されるが、もしそれがシェアできた場合、両者の意見の交わる部分が見つかり、本来なされるべき決断により近づいていくのだろう。そもそも、議論の正解に辿り着くことはできなくて、だからこそ、その近い所に収めるのが重要だから、いかにして近づくというのが先の抽象から受けるフィーリングに隠されているのではないだろうか。

◆今年最後に込み入った話をしてしまったが、うまい具合にさらっと流して、心身を入れ替え、新たな幕を開けたいものである。

■良いお年を。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。