【コラム】「マインスイーパーと人生」2022年01月05日 74回

◆マイクロソフト社を創業した実業家のビルゲイツは「マインスイーパー」が好きだという。マインスイーパーとは1980年代に発明されたコンピューターパズルゲームであり、盤面に隠された地雷を踏まないように予測して爆発を回避するゲームである。噂によると、仕事に集中するためにそれを環境から排除しなければならないほどの好物で、スコアも初級(8×8の盤面)において世界記録に迫ったという。(本人は正確な記録は把握していない)ちなみに、初級においては初手で角をクリックすると約0.0019%の確率でワンクリックでクリアすると言われている。

◆このゲームの面白い点は論理と運が絶妙に絡み合っているということだ。大半は理詰めで攻略することが出来るのだが、偶然に「究極の選択」が迫られることがある。「究極の選択」とはどちらに(二個以上の場合もある)爆弾があるかを論理で推測できず、運任せで選択せざるをえない状況のことである。将棋に似た「詰み」の要素が単に爆弾を回避するというより、自らどの道を切り開くかという主体性をもたせる。論理の中にある時折の運がプレイヤーをのめり込ませるのは納得できる。もし仮にこれが完全に運任せのゲームであれば当然人気は生まれないだろう。かといって、いかなる論理で攻略できる場合もそれはそれで良いとは思うが、ゲームには時として突風が起きるというミラクルが必要である。もし友人とプレイしている時に、初手で攻略する0.0019%の奇跡が起これば盛り上がるのが目に見えているように、何が起こるか分からないというバランスがゲームの面白さを平面から立体的なものに変えるのだ。

◆マインスイーパーはもしかしたら人の歩みに近い部分があるのかもしれない。われわれは生きる上で常々賢い選択を求められる。大げさかもしれないが、間違った選択をしてしまえば時として生死に関わることさえあるのだ。それは数学や状況処理の力だけではなく、道徳や倫理にも及ぶ広範囲な(言語化できるかどうかに関係ない)論理が絡んでいる。もしかしたらそれは解が一つに定まらないかもしれないが、長い目で見ての論理だ。しかし、人生には論理以外の要素が絡むことがある。それが「運」であると私は思っている。次の三叉路の選択をコイントスで決めて行った先で事故に遭うか、運命的な出会いを果たすかは論理の範疇にないことだ。極端な例で説明したが、人生も論理と運が絶妙に絡み合っている。それが生きることを楽しませるゲームバランスといえるのかもしれない。

■爆発は免れたいものである。

Σ

Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。