【コラム】「脳内は映画館」2022年01月11日 80回

◆お湯に浸かっている時にスマホを持ち込むという人は結構いるのではないだろうか。それだけに限らず、多くの人が肌身離さず持ち歩いて空白の時間を埋めようとする。手元に何もないととても退屈に感じてしまう。でもそれを少しでも手から離してみると気づくことがある。それは、自分には脳があるということだ。今まで自分が受け取っていたのはスマホから発せられた光・音・振動であり、それを感覚として処理していたのに対し、今は自分の脳内でそれの全てを完結させる。

◆確かに脳だけでは真新しい情報は生まれないかもしれない。実際に私たちが1日に受け取る情報量は江戸時代を生きていた人たちの1年分の情報量だとも言われている。それほど情報過多の時代に我々が必要としているのは数日間しか役に立たない(あるいは一日も役に立たない)情報ではなく、数ヶ月あるいは数年間にわたって大きい意味をなす情報が必要だ。人生の舵をきるための情報はそう簡単にスマホからひょいと現れるものだろうか。それらはきっとニュース記事のようにワンタップで得られるものではないはずだ。それは、浅い者ではなく、ミルフィーユのように重ねあげられたさまざまなもののつながりの中に漸く答えを導く手がかりがあるような、それほど繊細なものであろう。

◆それを上手く実行するのが脳である。脳は重要なメモリーだけを忘れずに保管してある。人はその記憶を引っ張り出して、フィルムをスクリーンに映写するようにして物事を考える。この過程は前述したような情報にとらわれている生活では生まれない。あのままでは映画館は何の意味もない存在となり、脳は考えるという行為自体を止めてしまう。考えるという行為をしなくなれば、それは人間のもつ大きな強みの一つを失うこととなる。そうなれば、情報を受理して適切に処理するコンピューターに負けるのも目に見えるだろう。だから私たちがなるべきは情報を浪費する人間ではなく、情報を得た上で新たなものを生み出す人間だ。つまり、浪費から消費へ、さらには生産の側に立つということだ。生産というのは情報を流すマスコミやSNSの発信者のことだけに限らず、自分で思考して、一面的でない考えを生み出すことだ。もしかしたら生産という言葉は単に情報を流すという意味では使うべきではないかもしれない。浪費していては、膨大な時間を失う上に得られるものはほとんどない。賢い消費者というのはあらゆる場面において必要とされる姿だ。

■娯楽としての浪費が大事な時もある。

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Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。