【コラム】「嫌いを受け入れる」2022年01月13日 82回

◆誰にでも嫌いなものはある。それは食べ物かもしれないし、季節やスポーツ、あるいは人といった、様々なジャンルに存在する。嫌いなもの(ひと)の数には個人差があるとは思うが、何かしらの嫌いなものがあることには変わりない。例えば自己紹介のときに「嫌いな食べ物は何ですか?」と問われた場合に多くの人はほとんど悩まずに答える。(嫌いな食べ物がないという人は他のジャンルに置き換えてみてもいい)早ければ早いほど、嫌いという感情が大きいということも読み取れる。子どもに同様の質問をしても、彼らは反射的に返してくる。そう、反射的に。

◆質問をしたことに反射的に返すのは会話のテンポが良くなるし、話していて気持ちが良いものである。しかし、それは同時に「考える、吟味する」という手間を省いていることになる。無論、会話で一言一言を丁重に吟味していては会話が滞ってしまう。だけど、自分の好き・嫌いにおける反射的な答えは実際によく考えてみると、(特に嫌いについて)「思っているほど嫌いじゃない」ということが多々ある。人生で初めて嫌いな食べ物を問われ、じっくり考えてAという答えを出したときは高確率で「本当にAが苦手」なのだろう。しかし、その後も同様の質問をされたら「Aです」答え続けると、もはや自動応答かのように定型文として自分の中に保存される。もしかしたら自分は既にAを嫌いでなくなっている、あるいは考えてみればもとからそこまで嫌いじゃないのかもしれないのに、その定型文は考えることをやめさせ、自分のマインドを制限する。そのとき自分の視野は大きく狭まり、本来見えるはずだった世界を自分の手で閉ざし、可能性の光を自ら消すことになる。これほどに勿体無いことはないだろう。

◆仮に一旦踏みとどまってみても嫌悪感を感じる場合は先程のような質問に素直にそう答えて良いと思う。ただ嫌いなものへの対策として、それが食べ物だったら食べなければ済むものの、人間関係だったらそう簡単に防ぐことはできない。そういうときにお勧めしたいのが「受け入れる」ということだ。もちろん嫌いな人を全面的に肯定するわけではなく、あるがままをあるがままの存在として捉えるということだ。自分の意識がその人にとらわれている方が時間と労力の無駄であるのだから、それを自分とは関わりのない道端の雑草のように眺めればいい。その存在を肯定も否定もせず、そのままのものとして冷静にとらえるということは暴走する脳を鎮める良い方法かもしれない。

■そうすれば「嫌い」という感情すら薄れていく。

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Pythonとジャスミンを創りました。好きな言葉は「知崇礼卑」です。